ダンカン ロビンソン。 ダンカンのプレーを初めて見た“提督”ロビンソン「すごく楽しくなると思った」(バスケットボールキング)

ドラフト外からフランチャイズヒストリーへ登りつめたダンカンロビンソン

ダンカン ロビンソン

写真=Getty Images 元スパーズで2009年に殿堂入りを果たしたデビッド・ロビンソンが『#NBATogether with Ernie Johnson』に出演し、1997年からチームメートになったティム・ダンカンの印象について語った。 1987年ドラフト全体1位指名でスパーズに入団したロビンソンは、海軍兵学校出身のため2年間海軍で兵役に就かなければならず、NBAデビューを飾ったのはそれから2年後だった。 それでもロビンソンは前表何通りの活躍を見せ、デビューから8シーズンで7回オールスターに選出されるなどエースとしてチームを牽引した。 そして、1997年に彼と同じくドラフト全体1位指名でダンカンがチームに加わった。 ロビンソンはダンカンの印象をこう語った。 「ティムは謙虚な男だ。 僕は自分のことを寡黙だと常に思っていたけど、彼に会って自分はうるさい奴だと思ったよ。 入団してきたときティムは控えめだったが、プレーは本当に素晴らしかった。 彼のプレーを初めて見たとき『とんでもない選手が来たな。 これからが楽しみだ』と思ったよ。 ティムが僕よりもすごい選手になるとは思っていなかったけど、良い選手になると確信していた」 「頼りになる戦力が加わったことで、優勝できるチャンスが一気に広がった。 人生の転機が訪れたんだ。 心からワクワクしていたよ」 ロビンソンはダンカンと共に『ツインタワー』を結成し1999年、引退した2003年にNBA優勝を成し遂げた。 ダンカンは2005年、07年、14年にも優勝し合計5つのチャンピオンリングを手に入れた後、2016年7月に現役を退いた。 ロビンソンはベストチームメートとしてダンカンと現ウォリアーズヘッドコーチのスティーブ・カーの名前を挙げている。 ダンカンは現在スパーズでヘッドコーチのグレッグ・ポポビッチの下アシスタントコーチを務めている。 2020年4月には急逝したコービー・ブライアント、ケビン・ガーネットとともにバスケットボール殿堂入りをすることが発表された。 バスケット・カウント.

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「デビッド・ロビンソン」は勝負弱かったのか?

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「優勝できるチャンスが一気に広がった」 元スパーズで2009年に殿堂入りを果たしたデビッド・ロビンソンが『 NBATogether with Ernie Johnson』に出演し、1997年からチームメートになったティム・ダンカンの印象について語った。 1987年ドラフト全体1位指名でスパーズに入団したロビンソンは、海軍兵学校出身のため2年間海軍で兵役に就かなければならず、NBAデビューを飾ったのはそれから2年後だった。 それでもロビンソンは前表何通りの活躍を見せ、デビューから8シーズンで7回オールスターに選出されるなどエースとしてチームを牽引した。 そして、1997年に彼と同じくドラフト全体1位指名でダンカンがチームに加わった。 ロビンソンはダンカンの印象をこう語った。 「ティムは謙虚な男だ。 僕は自分のことを寡黙だと常に思っていたけど、彼に会って自分はうるさい奴だと思ったよ。 入団してきたときティムは控えめだったが、プレーは本当に素晴らしかった。 彼のプレーを初めて見たとき『とんでもない選手が来たな。 これからが楽しみだ』と思ったよ。 ティムが僕よりもすごい選手になるとは思っていなかったけど、良い選手になると確信していた」 「頼りになる戦力が加わったことで、優勝できるチャンスが一気に広がった。 人生の転機が訪れたんだ。 心からワクワクしていたよ」 ロビンソンはダンカンと共に『ツインタワー』を結成し1999年、引退した2003年にNBA優勝を成し遂げた。 ダンカンは2005年、07年、14年にも優勝し合計5つのチャンピオンリングを手に入れた後、2016年7月に現役を退いた。 ロビンソンはベストチームメートとしてダンカンと現ウォリアーズヘッドコーチのスティーブ・カーの名前を挙げている。 ダンカンは現在スパーズでヘッドコーチのグレッグ・ポポビッチの下アシスタントコーチを務めている。 2020年4月には急逝したコービー・ブライアント、ケビン・ガーネットとともにバスケットボール殿堂入りをすることが発表された。

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マイヤーズ・レナードにダンカン・ロビンソン、ヒートの安定した強さを支えるのは『分業制のスターター』

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個人としては輝かしい成績を残し 得点王、リバウンド王、ブロック王 MVP、最優秀守備賞などを獲得。 しかし、なかなかチームを優勝に導く事ができず 「勝負弱い」 というレッテルが一時は貼られてしまった 90年代NBA屈指の名センター 「デビッド・ロビンソン」 この鋼のような筋肉。 そして、背の高いプレイヤーなのに、とても上手だった印象があります。 しかも、左利きで、ディフェンスとしては、マッチアプしたくないプレイヤーの1人だったのではないでしょうか? オリンピックでのデビット・ロビンソン 1988年、1992年、1996年と3回アメリカ代表として出場。 2度の金メダルの獲得に貢献した。 現役時代のデビッド・ロビンソン 1989年よりスパーズに参加。 このシーズンロビンソンは月間最優秀新人選手に毎月選出され 個人成績もシーズン平均24. 3得点12リバウンドと素晴らしいものだった。 サンアントニオ・スパーズは、前シーズン21勝61敗だった。 しかし、ロビンソンが加入によりチームは、成績をディビジョン1位の56勝26敗に引き揚げた。 そして、ロビンソンは、新人王を受賞する事になる。 ロビンソン個人はオールNBAチームやオールNBAディフェンシブチームに選ばれるなど高い評価を得る。 しかし、チームはその後数年間カンファレンスの強豪ないし中堅と言った状況が続いた。 1993-94シーズンにはリーグの得点王を獲得。 このシーズンの終盤には、ロビンソンと オーランド・マジックのシャキール・オニールとの間で 得点王レースが繰り広げられていた。 ロビンソンはシーズン最後の試合、チームメートの協力も得て71点をあげ、オニールを上回り得点王になった。 1990年代半ばのスパーズはリーグでも屈指の強豪となっていた。 しかし、NBAチャンピオンになる事はできなかった。 ティム・ダンカンと言う相棒を獲得 そして、1997年、ドラフトでサンアントニオ・スパーズはティム・ダンカンを獲得する。 この年から、ロビンソンと、ティム・ダンカンのツインタワーとして優勝を狙うことになる。 役者は揃った。 即戦力として期待されたダンカンは加入初年度より 期待通りの活躍をみせた。 それにより、ロビンソンの役どころも変化していった。 1998-99シーズンはチームでの得点首位の座をダンカンに譲り 同時にエースとしての立場もダンカンに引き継がれたようにみえた。 見えたというよりも、ロビンソンがそうしたのだろう。 この年、スパーズは、NBAファイナルへと進み パトリック・ユーイング率いるニューヨーク・ニックスを下し チャンピオンリングを手に入れた。 ファイナルMVPにはダンカンが選ばれたが、そのお膳立てをしたのは間違いなくロビンソンだったはずだ。 その後3年間は、シャキール・オニール、コービー・ブライアントを擁し フィル・ジャクソン監督が率いるロサンゼルス・レイカーズの時代となった。 ロビンソンの成績は年齢とともに徐々に下降していったものの ダンカンとの「ツインタワー」は健在で、2003年にはスパーズの2度目の優勝を果たし それに大きく貢献した。 そして、このシーズンでロビンソンは引退する事になった。 プレイスタイル ロビンソンは高身長選手の常識を覆すほどの高い運動能力を持っていた。 そして、コートを駆け抜ける走力、アシスト能力も非常に高かった。 ポイントガードの資質まで備えているところから 「ポイント・センター」 と呼ばれていた。 また、ロビンソンの凄さは、得点力だけではない。 ディフェンスの能力も非常に高く オールNBAディフェンシブチームには ほぼ毎シーズン選ばれていた。 また、1994年2月の対デトロイト・ピストンズ戦では 34得点、10アシスト、10リバウンド、10ブロックをあげ 4つの部門で2桁を達成する クワドラプル・ダブルを成し遂げた史上4人目の選手となった。 MVP 得点王 リバウンド王 ブロックショット王 など個人で受賞できる賞はほとんど全て獲得している。 高身長のセンタープレイヤーは不器用な選手が多い中 これだけ、色々な事をこなせた選手はNBAの中でも非常にまれだと思う。 カテゴリー•

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